モダン和風建築と百年の歴史を誇る1350坪の日本庭園に囲まれた癒しの時間をあなたへ。地元の旬の素材をふんだんに盛り込んだ季節の会席は大好評♪源泉掛け流しの打たせ湯付露天風呂で体も心もリフレッシュ。
尚玄山荘ガイド
親孝行の名医、徳永尚玄の心を伝える湯宿で、徳永尚玄にちなんで名づけられた宿。 客室からは尚玄の生家の庭に似た和風庭園が望める。 正面から美術館をイメージさせるような外観とは異なり、 客室には尚玄ゆかりの書などを飾った純和風な作りとなっている。 客室に座り、庭に目をやれば、1350坪の日本庭園が広がる。 春から初夏には桜・ツツジ・サツキ・藤が咲き、秋には紅葉、冬には雪景色と日本の四季でお客様を楽しませる。
尚玄山荘の由来
徳永尚玄は天明2年(1782年)玉名郡石貫庄屋村(現在の玉名市石貫)に生まれ、幼い時お父さんを亡くした尚玄はお母さんの手一つで育てられました。 その頃、熊本の時習館という学校に入学したもののまだ小さかったので、石貫に帰るたびに遠い熊本に歩いて帰るのをしぶるようになりました。 そのつど、お母さんはくじけようとする尚玄の弱い心をたしなめようときびしくむちを振り上げていましめられました。 こうしてお母さんに励まされた尚玄は、いちもお母さんのことを忘れずによく勉強してずっと優等の成績でした。 尚玄はその後肥後(熊本)藩の再春館に入学し医学を勉強して、医学書まで著わしました。また詩歌もたしなみ文人としても多才の人でした。やがて、細川候のご典医になるように薦められましたが、親孝行の尚玄はその招きを断わり、一生石貫で暮らすことにしました。 尚玄は身体の不自由になったお母さんのために木車を作り、散歩などによく乗せて親孝行をしたので、殿様からたびたびおほめのことばをいただいたそうです。 嘉永3年(1860年)78才で亡くなった尚玄の美しい親孝行の話は、いつまでも立派なお手本として今もたたえられています。 この山荘の庭は尚玄の生家あとにあるつつじの庭とそっくりなので、尚玄山荘の名がつけられました。



