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幼い時お父さんを亡くした尚玄はお母さんの手一つで育てられました。
その頃、熊本の時習館という学校に入学したもののまだ小さかったので、石貫に帰るたびに遠い熊本に歩いて帰るのをしぶるようになりました。そのつど、お母さんはくじけようとする尚玄の弱い心をたしなめようときびしくむちを振り上げていましめられました。
こうしてお母さんに励まされた尚玄は、いつもお母さんのことを忘れずによく勉強してずっと優等の成績でした。尚玄はその後肥後(熊本)藩の再春館に入学し医学を勉強して、医学書まで著わしました。また詩歌もたしなみ文人としても多才の人でした。
やがて、細川候のご典医になるように薦められましたが、親孝行の尚玄はその招きを断わり、一生石貫で暮らすことにしました。尚玄は身体の不自由になったお母さんのために木車を作り、散歩などによく乗せて親孝行をしたので、殿様からたびたびおほめのことばをいただいたそうです。
嘉永3年(1860年)78才で亡くなった尚玄の美しい親孝行の話は、いつまでも立派なお手本として今もたたえられています。この山荘の庭は尚玄の生家あとにあるつつじの庭とそっくりなので、尚玄山荘の名がつけられました。
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